聴いて欲しい シングルファザーで娘2人を育ててくれた。「父が・・!!」

私23 姉25

私が幼稚園の年少の頃に父は母と離婚した。

離婚の原因は母が育児ノイローゼと、精神的な病気。


父が実は昨日亡くなった。



朝起きて、

父の部屋に行ったらもう冷たくなっていた。

父が母と離婚してからはシングルファザーで娘2人を育ててくれた。

仕事も朝早く、夜も遅くなる事が多かった。

でも仕事から帰ってきて毎日暖かいごはんを作ってくれた。

休みも日曜日だけなのに、

いつも色んな所へ私達を遊びに連れてってくれた。

たぶん、

母親がいないから寂しい思いをさせないようにしてくれてたんだと思う。

私は小さい頃

毎週日曜日が楽しみだった。

ちなみに母と一緒に遊んだ記憶とかは全くない。

断片的な事だけなんとなく覚えるくらい。

いつの間にか母がいなくなってた感じ。

毎週日曜日は、

少し遠い

アスレチックがたくさんある様な大きい公園に行ったり

航空博物館に行ったり

冬はスケートに連れてってくれたりした。

スケートに連れてってもらって寒いのが苦手な父が、

早く帰りたそうにしてたと今では思う。

スケートで散々遊んで

冷えて疲れた体で

あったかいラーメンが

ものすごく美味しかったのを覚えている.


ごめん少し語弊がある。

幼稚園~小3までおばあちゃんが家に住んでくれていた。

通夜などはやらず、

簡単な式だけなので

後は区役所行ったりの処理だけなので

夜はする事が意外となく辛くなるんだ あと、

日曜日はどこかに出かけなくても

一緒にスーパー行って買い物するのも好きだった。

   日曜日の朝は、

アジの干物(たまに鯖とかに変わる)と、

お味噌汁、

ネギ入りの卵焼き、

じゃこと大根おろし等

といった和食で

みんなで朝食だけで

ご飯3号を平らげてしまっていた。

なので、私は今でも大食いです。

で、先にも言ったけど

おばあちゃんが小3までお母さん代わりをしてくれていたんだ。

そのおかげで、超おばあちゃんっ子になった私。

覚えていなんだけど、

5さいとかかな?

母と久々に会ったんだが、

私は全く母と喋らずに

ずっとおばあちゃんにくっついていた。

母は精神的な病気もあり、これが結構応えたらしく、

姉と母2人でジュースか何かを買いに行って

「ここで待ってて」と言ってお母さんはもう帰って来なかったらしい。

本当はここで母の状態がよかったら

また一緒に暮らしていたのかもしれない。

  続き

おばあちゃんが年齢的なものもあり、帰ることになった。

おばあちゃんの家は遠く、

気軽にこれる距離ではないので 家族3人で暮らしすようになった。

この頃から少し父がイライラしてたのを覚えている。

当たり前だと思う。

仕事から帰って来たら部屋を散らかしてる私達。

さらにそこから食事の用意や家事。

楽しかった日曜日も、怒られるのが怖かった。

怒られるのが怖くて

日曜日の父がいる日や

機嫌が悪い時は

家が灰色に感じた。

父がヘビースモーカーだったので

たぶん煙の匂いもあったと思う。

少しずつ3人での家庭も慣れてきた。

めんどくさくて、食器洗ってなくて怒られたりもしたけど

日曜日に3人で遊びに行ったり、

夜ごはんを

餃子とかコロッケとか

時間がかかるものを

みんなで一緒に作ったりした。

父も料理のレパートリーを増やしてくれて

失敗もあったりしたけど、すごく美味しかった。

今でも父の料理は世界一だと思う。

中学生になって思春期に突入。

生理が来ても恥ずかしくて父には言えなかった。

姉もいたので知識はあるので、

自分のお小遣いで生理用品とかを買ってた。

中2になると、姉は高校になり

私が家を一番遅くに出て

早く帰ってくるようになった。

これをいいことに、遅刻、無断欠席ばっかりだった。

髪を染めたり、ピアスを開けたりと優等生ではないような子でした。

でも、父は私がやりたいことはさせてくれた。

お前が選んだんだから文句は言わない。

ただ、人に迷惑をかけるな、 よくそう言われた。

そして中学生、さすが厨二病。

当時は友人関係やら色々あって なんとなく、

死にたいと思っていた。

父のこともあまり好きでなかった

。 些細な事で喧嘩をして

1年以上も口を訊かずに 接触を完全に避けていた。

万引きで補導されたり、

遅刻して学校行ってる時に運悪く警察に見つかって

一緒に世間話しながら学校行ったりした。

家にもあまり帰らなかったと思う。

友人の家やら、何やら出歩いてた。

知らない男の人と遊んだりもした。

中3の高校受験も勝手に一人で決めてしまった。

ただ、裕福ではなかったので漠然と高校行って

卒業したら働こうと思って商業高校を選んだ。

私の頭の問題もあり行ける高校は限られていた。

そんなこんなで中3は受験勉強...

とはいわず 相変わらず遊んでいた。

とあるジャンルのバンドにもはまり、

友人とライブに行ったりイベントにも行ったりしてた。

ちなみに、私の本当の意味での初恋はこの頃だと思う。

父とも仲が悪く、家に居づらかった。

その時出会った人から

かけられた言葉が

その時の私の支えだった。

  レスありがとう。

一人ひとり返せず申し訳ないです。

受験勉強は全然していなかったけれど バカ高なので余裕でした。

そしてある日曜日。 この日は私の行く高校の入学説明会だった。

父に呼ばれて、ビクビクしながら父の部屋に行った。

でも、父は怒らずに色々と話しをしてくれた。

父と母の離婚のこと、今まで思ってた事。


私は泣いて、ただ話しを聴いていた。

たぶん父の考えとかを

ちゃんと聞いたのはこの時が初めてだったと思う。

そして無事?仲直り!


また一緒に父と笑いながら話せるようになった。

入学式は平日なのでこなくていいよ

と言ったけど クラスで親が来ていないのはうちだけで

やっぱりちょっと寂しかった。

高校の頃はちょっと割愛。

あんまり高校が楽しくなくて覚えていないんだ。

でも、いつも朝早いのにお弁当作ってくれてた。

お弁当も冷凍食品は少なかった。

入ってても一品だけとかだった。

あと、高校辞めたいって父に話した時も

しっかり話し聞いてくれた。

そして、お前が決めたことなら何も言わない。

ただ、いつでも辞めれるけど

辞めたらもう戻る事はできないんだぞって。

その父の言葉聞いて高校も頑張れた。

今では辞めないでよかったと本当に思う。

高校はバイト三昧。

授業料を自分で払って、少しでも父の負担を減らしたかった。

そして就職も勝手に自分で決めた。

やりたい職種だったので、即決。

無事就職試験も受かり、あっという間に高校卒業した。

就職してからは私の方が帰りは遅くなった。

なので、相変わらず父がごはんを作ってくれていた。

今まで打てなかったメールを覚えて

帰る時間を聞いてくれて

あったかいごはんを用意してくれていた。

更にはお弁当も

自分の作ったついでと作ってくれたりもした。

本当にダメな娘だったなー

20歳過ぎてからは父と一緒に飲みに行ったりしていた。

あ、

姉が全くでてこないけど

私とも父とも仲良しでした。

姉事情もいれると長くなっちゃうので...

ちなみに父のメールは

いつも最後に

ちちょり って

いれてくるのが可愛くて仕方なかったw

そんなこんなで私が20になる年

わたしを育ててくれたおばあちゃんが亡くなった。

最後の方はボケてしまってて

私と姉の区別がついてなかった。

流石に辛かった。

結構厳しいおばあちゃんだったから、

弱ってる姿が見ていられなかった。

父もたぶんこの頃から精神的に弱ってたんだと思う。

父はお酒が大好きで、

お酒を飲むと何にも食べなくなるんだ

おばあちゃんが亡くなってからは

しばらくその状態が続いた。

少しずつ元気を取り戻した父だけれど、

仕事の関係で骨折してしまう。

入院して、

お見舞いに行くと嬉しそうな顔は見せずに、

でも楽しそうにしてくれた。

完治一年くらいで、仕事に復帰した。

でもやっぱり少し足引きずってしまうんだ。

また一年後くらいかな?

同じ方の足を骨折した。

今度は入院はしなくてよかったけど、

仕事はしばらくの間休んでいた。

そして 私達にははっきり言わなかったけど、父は仕事を辞めた。

父が元気が無くなっていたのがわかった。

年齢も年齢だし、仕事を見つけるのも中々厳しい。

足も治ったと思うんだが、ずっと家にいるようになった。

それでも父は私達の為に美味しいごはんを作ってくれた。

父が作ってくれた

料理は本当に美味しくて

夜ごはんをモリモリ食べて

その後父の部屋で

ソファーに隣に一緒に座って

TVを見たりくだらない話しをして笑っていた。

父の昔の武勇伝も何度も聞いたw

楽しそうに話してくれる顔が、大好きだった。

私や姉の仕事の休みが被ると、

また小さい頃の日曜日のように朝食をみんなで食べたりした。

支援ありがとう。

今年の父の誕生日は

欲しいと言っていた レッ〇マジックを買った。

私は仕事だったけれど家に届いた時に姉が家にいたので

嬉しそうにレッグマ〇ックをしている

父の写メが届いたw

私が家に帰ってからも何気なく、

いいなこれ、

とか言ってシャッシャっと頑張っていた

ちなみに去年の誕生日も

父へのケーキを冷蔵庫にいれてあるのに

気づかないふりをしてくれて、

ロウソクに火をつけて持ってったら照れていたw

すっごい可愛くて仕方なかった

父はツンデレであまり言葉では示さないけど、

態度ですぐにわかる

今年の9月くらいからかな

前より元気も無くなっていた

仕事の事で焦っていたのかもしれない。

私と姉は無理して働いて欲しくなかった。

なんとか私達で頑張れないかと話していた。

そして、10月。

父が何故か新しいガスコンロを買ってきたんだけど

それを車から家に運ぼうとした所でぎっくり腰になってしまった。

そこから父は以前より格段に部屋から出なくなってしまった。

コンビニすらでかけなくなっていた。

腰も痛いというが、病院も行きたがらない。

ひたすらお酒を飲んでいた。

前より会話も減ったし、

言葉をかけても返事がうん、とかだけになった。

父の好物の、

すき焼きを作って

みんなで食べようとしても本当にちょっとしか食べない。

あまり話しかけられたくない様だった。

たぶん気を使われているのがすごく嫌いだったから。

今月に入ってからも、その状態は続いた。

姉と一緒にみんなで気分転換に温泉でも行こうか?

と話してたけど

父もあまり長時間車には乗れないだろうと、話しは流れた。

今週に入ってから、話しかけても反応が更に薄くなった。

そして、一昨日。

私が家に帰って父に話しかけた。

「ただいまー」

「...んー」

「寝る?」

「...んー」

今思うと、あまり意識無かったのかもしれない。

最近は常に寝ている状態だったので、わからなかった。

そして、昨日。

郵便が父宛に届いて、渡しに行った。

声をかけても返事が無かったから

まだ寝てるんだと思って置いておいた。

その後お昼前姉と話しながら

父の部屋の前に行ったところで

姉が父の様子がおかしいことに気づいた。

「〇〇!父が冷たい...!」

その言葉を聞いて父に駆け寄った。

父の体が冷たく、固くなってるのがわかった。

震えながらすぐに電話で救急車を呼んだ。

心臓マッサージをして下さい、

との事で姉と交代で心臓マッサージをした

心臓マッサージをすると、息をしていなくても 父の声?

みたいなハッ、ハッ、という息の出る音がしていた。

すぐに、救急隊員が来た。

父の元に行き、少し触ったり様子を見ていた。

が、すぐにもう助からない状態だと言われた。

その後、家で亡くなった為警察も来て

たくさん聞かれて写真も色々撮られた。

その後、病院へと父の遺体を持っていき、

解剖はしなかったけどCTとかを取って死因を調べたらしい。

その間に親戚に連絡をした。

夕方というか夜に遺体を警察から引き取った。

警察の話しもあまり頭にはいってこなかった。

死因はこれというものは断定できなかった。

たぶん、心臓か、色々な事が重なっての事だそう

解剖は希望でできるみたいな話しを聞いたけど、

私も姉も望まなかった。

葬儀屋さんで、話しをしている時に 気づいたら泣いていた。

辛くて父の遺体が見れなかった。

近くに住んでる親戚が家に来て色々な話し合いをした。

もう、とにかく早く帰って欲しかった。

あまり父は親戚と仲良くなかった。

だから、家に親戚がいると不機嫌になる、そう思った。

やっと、親戚も帰ってから夜は全然眠れなかった。

整理ができてないのと、

本当に父がいなくなったのか

わからなくて

でも思い出しては

自然と泣いていた。


おわり


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