真珠湾戦争の真実

パンダナ♬

真珠湾の奇襲攻撃によって太平洋戦争の火蓋が切られてから、この12月8日で77年をむかえる。この歳月の中で私たちは、何を学び、何を失ってきたのか。太平洋戦争を「情報と通信」の視点で再検証してきた。

前回の記事「危機意識の欠落が生んだ日米情報戦の敗北」では、戦時下における日本の脆弱な暗号システムと危機意識の欠如について見てきたが、今回はいよいよ核心、日米開戦の新たなる真相に迫って行く。


情報は米国の手の中へ

暗号が盗まれたことにより、日本の「出方」はもはや米国に筒抜けであった。しかも複製された暗号解読機はその後も増設され、開戦時には計4台あったという。また米国解読班のタイピストの中には優秀な女性スタッフもいた。これら米国の動きに対し“内部犯行”を疑いつつも有効な対応策を打ってこなかった日本の外務本省はどうだったであろう。外務本省は駐米大使館に外交電報の取扱いを一部の幹部職員に限定させた上、3台あった暗号機も、その内2台を開戦後米国側に接収される危険性を減らすため、破壊させていた。疑心暗鬼に駆られ、現場の裁量を縮小させていった組織の様が見て取れるが、これにより米国と同時に電文を受け取ったとしても、傍受した方が先に内容を把握するという事態が起こっていたのは言うまでもない。

ここで米国の傍受システムを理解するためにも、当時の外交電報の経路、情報体制を簡単に説明しておこう。まず外務本省から出された文書は省内の暗号機で暗号化、それを栃木県小山にあった小山送信所から米サンフランシスコの受信施設に向けて発信する。そしてサンフランシスコを経由してワシントンDCに転電されると、ワシントンDCの受信施設は暗号電を文書として出力して駐米大使館へバイク便等で配達する。そんな仕組みになっていた。いうなれば小山送信所から発せられた情報は、発せられた瞬間から米国の手中にあったといっていいだろう。2013年にスノーデンの告発で発覚したNSA(米国家安全保障局)の盗聴・監視システムを彷彿とさせるが、再び『通信の世紀――情報技術と国家戦略の一五〇年史』を見てみよう。

〈米国は、栃木県の小山送信所からサンフランシスコの米国通信会社の受信所に送られた日本の外交電報を米国西海岸シアトルにほど近いベインブリッジ島の海軍電信所で傍受し、テレタイプ(電動機械式タイプライター)でワシントンDCの海軍省ビルに転送した。こうした直通電信回線の設定により米国の解読班は、日本大使館の電信係員より、少なくとも配達に要する一、二時間程度早く日本の外交電報を手に入れていたのである。〉

0
0
おすすめ