現在も稼働している、ティーガー131の生い立ち

ARC1980

1.ティーガー131の生い立ち

ティーガー131はドイツのカッセルで製造された。完成したティーガー131は、1943年2月に車体番号『250110』としてドイツ陸軍に引き渡され、1943年3月12日~4月16日の間にイタリアを経由してチュニジア戦線の部隊、『第504重戦車大隊 第1中隊第3小隊』に配備され、同部隊にて砲塔番号『131』と命名された。この『131』という番号が、後に『ティーガー131』と呼ばれる由来となる。

2.イギリス軍との対峙

ティーガー131は北アフリカ戦線にて戦闘中、イギリス軍の『第48王立戦車連隊A大隊第4中隊』所属のチャーチル歩兵戦車と対峙し、3発の砲弾を受けた。

1発目は砲身に当たり、跳弾してショットトラップとなって砲塔リングに命中して損傷させ、旋回不能にさせた。更にこの砲弾で操縦手と前方機銃手が損傷した。

2発目も命中して砲の俯仰装置を破壊、3発目は装填手のハッチに命中して砲塔内に破片を散乱させた。

乗員の負傷、砲塔装置の破損により戦闘続行不可能と判断したのか、乗員はティーガーを捨てて脱出した。この乗員の氏名と、その後どうなったのかは不明である。

その後、放棄されたティーガー131はイギリス軍に鹵獲された。このティーガー131はイギリス軍、アメリカ軍にとって初めて『ほぼ無傷』で鹵獲したティーガーだった。

3.鹵獲された後

鹵獲されたティーガー131は、砲塔側面に『131』という番号が書かれていたので、『ティーガー131』と名付けられた。その後、他のティーガーの残骸から回収された部品を使って修理され、各種性能試験が行われた後、チュニジア共和国のチュニスに展示された後、1943年10月にイギリスへ輸送。その後戦車技術学校にて各種試験を実施した。

4.戦後

1951年9月25日。ティーガー131はボービントン戦車博物館に寄贈され、展示番号2351とされたが、後にE1951.23に変更された。

月日が流れ、39年後の1990年。博物館と陸軍機修理機構によるレストア作業が実施された。始めから搭載していたエンジン『HL210』は下ろされ、断面展示されていたため使用不可能となっていた。そのため、別の展示品であったティーガー2のエンジン『HL230』を修理して搭載することになった。更に現代的な消火システムをエンジン付近に搭載された。これはティーガー131にとって、大幅な改造点であった。

レストアを開始して13年、2003年11月にボービントン戦車戦車博物館に復帰し、『世界で唯一走行可能なティーガーⅠ』として、ボービントン戦車博物館の人気な展示品となった。その後も各所修理等の修復作業が続けられ、完了したのは9年後の2012年だった。掛かった費用は8万ポンドだった。

5.現在は

ティーガー131は様々なイベントに参加し、その勇姿を観客たちに見せつけた。更に2014年公開の映画『フューリー』にドイツ陸軍が操縦する敵戦車として登場し、戦闘シーンを演じた。

6.終わりに

戦時中は思わぬ攻撃を受けた影響で大した活躍をすることは叶わず、最後は敵に鹵獲されてしまった。しかし戦後になっても解体されることは無く、更にレストアまでされて走る事が出来ている。『幸せ』という表現は適切では無いかもしれないが、人々の前で走る事が出来るというだけでも十分幸せではないかと思っている。

これからもその勇姿を見せ続けることだろう。

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