ポリティカル・コレクトネスが舞台芸術にも忍び寄る
アメリカに住んでいる以上、避けて生活はできないのがポリティカル・コレクトネス。簡単にいうと、人種、宗教、性別などの違いによる偏見や差別をなくした、中立性を重視した表現や考え方を指す。こうした考え方は正しいと思うのだが、過度にこれを気にし出すと「うっかり何も言えなくなる」という窮屈さに悩まされることも起こってしまう。
先日私が理事を務める地元の子供劇団で、秋のショーに『ピーターパン』が上演されることが決まった。演者である子供たちは大喜び。しかし、ここに「待った」がかかってしまった。理由は内容に、ネイティブ・アメリカンを差別する表現が含まれているからだ。私が住むシアトル周辺は、ネイティブ・アメリカンの居住地がいくつもある。この地で活動する以上、ネイティブ・アメリカンへの敬意とポリティカル・コレクトネスは無視すべきではないという、権擁護団体から申し入れがあったのだ。
何が本当の差別なのか?
こうした申し出があった以上、無視するわけにもいかない。私は移民で、かつ白人ではない唯一の理事なので、いろいろ意見も言わされた。「原作にある内容を変更することにも影響は不随する。日本人が悪役の古典的な舞台があったと仮定し、それがポポリティカル・コレクトネス的にふさわしくないという理由で削除されたら、それを差別と思う人もいるだろう」と意見を述べたところ、基本的に作品の中身を変えたくない白人理事たちはホッとしたようだった。今後、ネイティブ・アメリカンの居住地の人とも会合をもつことになるが、着地点がどこになるかは、今はまだ分からない。
この劇団に限らず、舞台の世界ではポリティカル・コレクトネス絡みの問題がよく起こる。驚愕した例でいうと、数年前に『白雪姫』を上演した時には、「黒雪姫も必要」という申し入れすらあったという。主人公の名前が「白雪」なのに、それを「黒雪」にしろという主張はどうかと思うが、それを平等だと思う人もいるのだ。こうしたことも、また今のアメリカ。本当に悩ましい限りだ
多様なアメリカでは、暮らす地域によってすべてが異なる。テキサス州に暮らすイスラム教徒の著者が、アメリカ国内でも報道されない保守の声をお届け。トランプ支持がなぜ悪い? 西森マリーの『アメリカ保守派の考え方』。トランプ大統領が、イスラエルの米大使館をエルサレムに移転する公約を遂行しようとするのを喜んでいる人々がいるという。