後味の悪い話は聖書にもいっぱいある
(キリスト教の人いたらごめんね)
イエスキリストが説法をするために場所を借りた家には来客がいっぱい。
その家の姉妹のうちの姉は、来客の食事の世話などの応対に負われてんてこ舞いだったが、
妹は手伝いもせず、一人のんきにイエスキリストの説法に聞き入っていた。
姉が「あなたも手伝って」と妹に言ったところ、イエスは姉を叱る。
「妹は今価値ある私の説法をきいている。それをジャマしようとするおまえは何という
ひどい人間なのだ」というふうに。
はあ?と思った。
じゃあ姉は一人で忙しくてその説法を聞けなくていいのか?
妹は説法聞けば手伝いしない怠け者のままで許されるのか?
二人で来客応対ちゃっちゃと済ませれば残った時間でも
二人ともイエスの話きけるじゃないか
そんな思いやりも持たない妹が説法聞いて分別くさっても有難みも何もねえよ
なんかイエスの言い分は常識と違うことを偉そうに言いたい厨二病だと思った
私が一番嫌いな聖書の中の話。
有名な放蕩息子なんだけど・・・。
ある金持ちには息子が二人いた。
ある日弟は、父親に向かって将来もらうはずの遺産を今ほしい、と申し出、
その金持ちの半分の財産を分け与えられた。
弟は放蕩の旅にでて散財し、すっからかんになった状態で家に帰ってくる。
父は息子の帰還を喜び、一番大切にしていた指輪を与え、大祝賀会を開く。
それを面白く思わないのは兄。
兄は財産を分け与えられることもなく、ただひたすら質素な生活を余儀なくされ、
父親と家のために尽くしてきた。
「家の財産を食いつぶした弟に、なぜ祝賀会を開いてやるのですか?
私は今まで家のために尽力して来ましたが、小さな宴会ひとつ
開いてもらった事がありません。」
父親はそれを聞いて激昂。
「おまえはずっと私の傍にいることができたんだぞ!」
この話しが不条理なもの以外に感じられないんだけど。