俺の家は代々医者をやってるわけでもなく
俺が海外の医療ドラマを見て憧れだけで
死ぬほど勉強して医者になったんだ
バイトもせず親のすねをかじって
親には散々迷惑をかけてきたけど
地方の医学部に合格した時は祭のように祝ってくれた
医学部に入ってからは、これまた親のすねをかじって勉強やら遊びやら
散々迷惑をかけたんだ
今思えば、親は全然そんな俺を怒ることなく
一度きりの人生楽しめ!的な感じで許してくれた
遊んでばっかでもなく、勉強も死ぬ気でやった
就職も医療法人の小児に決まって
休みないけど親孝行できるって感じで
高校から付き合ってた彼女とも同棲して
幸せな日々が過ぎて行くはずだったんだけどね
仕事も慣れて、生活も安定してきて、彼女とも結婚しようかって話していた時にね
警察から電話があったんよ
なにかなって思ったら、母が夜中にコンビニで万引きをしたって
急いで保護先の警察署にいったら
泣きながら謝ってる母親がいた
俺がなにしたんだよって問いかけても
ご迷惑お掛けしました、ごめんなさいって
俺の顔を見て他人事のように謝っていたんだ
なんていうかな、息子なのに息子に言うニュアンスじゃないんだ
難しいけど、そんな感じの謝り方だった
日に日に母親の昼夜逆転もひどくなって
警察に保護され迎えにいくの繰り返し
親父と話し合って、自分の法人が経営していると特養に
入所することが決まった。
自分のとこの法人ならな何かあったら
すぐ駆けつけれるって思ったし
今話題になってる、介護職員による虐待も
防げるって思って
それから数年、仕事しながら休みには特養の母を訪ねてワイワイ話したりした。
入所して3年経ったあたりから俺を息子とは
わからなくなるぐらい悪化していたんだ
まあ覚悟は出来ていた
俺は母親が元気にさえしてくれれば
それで幸せだったんだ
仕事と特養を往復してる毎日のそんなある日
実家近くの親戚から電話があった
小さい頃から付き合いがあった親戚だけど
電話なんてしてくる人ではなかったから
なんだろう?って思ってかけ直そうとしたら
留守電があった
お父さんが家の中で暴れてて、警察沙汰になってる
今これる?
その留守電を聞いてる最中にも警察から電話が入っていた
医療法人だったから、なんとか代わりの職員にお願いして
休みをもらって実家に向かった
俺の親父も俺のこと息子だと認識出来ない
そこまでくるのに5年くらい
4年前の2月
いろいろ思い出して、書こうと思ったんだ
実家に着いてパトカーが一台と自転車の警察官もいたっけな
あとは実家周りの人が来てくれてたな
部屋に入るともうめちゃくちゃ。
食器は割れてトイレットペーパーも散乱していた
何より便の臭いがすごくて、中にいた警察の人に「息子さんですか?」と聞かれ
ハイと言って親父のとこに案内されると
上半身裸で自分の便を身体中に塗っている
親父がいた
その時、母親のことを思い出したんだ
育ててくれた時と今の状態を目の当たりにした
あの時のショック
親父は、俺をみた瞬間また暴れ出した。
警察も俺も便がつくことも気にせず
押さえつけた
刃物も部屋に散乱していたから怪我する恐れがあったんだ
今思えば、あの時の警察官には感謝してる
それから親父も母親と同じ症状ではないけど
認知症と診断され、施設に入るしかなくなった
俺は職場の法人本部に頭を下げにいって
自分の父親も法人の特養に入れて下さいと
直訴した。
というのも、特養は定員いっぱいで待機してる高齢者の方もたくさんいた
そんな中、職員の親を特別待遇で入所させてもいいのか
議論になっていた
母親の時はたまたま入所できたけど
父親の時は事情が事情だ
まあでも、職場の仲間や特養のみんなの協力で
なんとか自分の法人で親父の面倒を見てくれることになった
自分の母親と親父が一緒の特養。
俺は同じ系列の病院
当時は同じ家にいるみたいで安心したっけな
施設に行った時は
母親は相変わらず施設でも穏やかで
親父は暴れたり、安静にしたりの繰り返し
介護職員とも上手くやってくれてるみたいで安心したな
無理してでもお願いした甲斐があったと思ったな
就職が決まった当時は、今まで親のすねをかじりまくった分
楽させてあげようと思ったね
自分の娯楽なんていいから、旅行に行かせてあげたり
大好きだった寅さんのDVDボックスを買ってあげたり
これからもっと親孝行するぞって時に
こんなことになってしまったから
すごい悔しかったね
今してやれることって、施設にいって
話の相手をするぐらいだったから
そう思ってる時、両親と接している介護職員を見て
すごく羨ましく思ったんだ、
俺と両親は血の繋がった家族だけど
介護職員もそれに近い関係で
両親と接してくれて、、、なんか嫉妬していたねw
俺、ドラマの影響とか憧れで医者になったぐらいだから
介護職員に対する嫉妬、親ともっと居たい!と思って
その特養で働きたいって言ったんだ
もちろん、特養にも高齢者に精通した医者はいたから
介護職員としてね
法人の役員の人たちも理解があって
なんなく法人の特養で働けることになった。理解ある法人でよかったな。
今思えば、親が大好きだったんだなってw
行動力半端ないって思うよw
両親が認知症になったあたりから
仕事とも両親のことでいっぱいになったから結婚前提の付き合いも破断になっていたし
失うものは何もなかったw
ただ両親のそばで働けることがとても幸せだった
仕事はキツイけど毎日幸せだった
親の介助に当たる時もあれば、他の利用者の介助に当たる時もある。
だからと言って特別扱いはせず、一人一人一生懸命介助にしていった
でも、両親の介助の時はわざと時間掛けてたなw
母親の介助は同性介助の考えから限られてたけど
父親の介助はたくさんさせてもらったな
親父の入浴介助をした時なんか
何年ぶりに一緒に風呂に入ったか!なんて
考えたりもした。もちろん俺は介助するだけだったけどねw
両親も俺のことはわからなくなってるけど
俺は家族としての記憶を一つ一つ介助を通して
思い出していたんだ
まあ、あとは大体わかってると思うけど
母親が2年前、父親が去年の5月に亡くなったんだ
78年生きた母親を82年生きた父親が後を追うようにして
息を引き取ったな
俺のことをわからなくなっても2人はなんか特別なもんで結ばれてるんか!ってくらい
タイミングというか、いろいろ考えさせられたな
最後の最後まで親孝行として両親の介助ができて幸せだった
ふと書こうと思ったから、こんな終わり方で申し訳ないw